内藤とうがらし再興プロジェクト

第一回 内藤とうがらし はじまりの物語。

2012/12/20

画一化していく農作物。
「豊かな食文化を守りたい」とプロジェクトは始まった。

そんなに人気のあった「内藤とうがらし」が、なぜ今ではほとんど見られなくなったのですか?

流通などが発達していない時代は、その土地土地に固有の野菜が根付き、地域ごとに消費されていました。たとえば米は2000種類も存在していたのです。しかし今では、何種類か、数えるほどしか残っていません。「内藤とうがらし」もそうした道をたどった野菜の一つです。「鷹の爪」人気が高まることで、「内藤とうがらし」は影を潜め、ごく一部の土地で、自家用として栽培されるだけになってしまいました。

こうした現象には、チェーン店を経営する企業の存在も大きくかかわっています。チェーン店は、日本中、世界中で同じ味の商品を展開しなくてはなりません。必然的に、鶏肉なら同じ品種の鶏肉、じゃがいもなら同じ品種のじゃがいもを育てる必要が生まれたのです。大きな企業に商品を買ってもらいたい畜産農家や農家は、その売れる種類の肉や野菜しかつくらなくなっていきます。こうして、絶滅する家畜や農作物を生み出すことになりました。もちろん、チェーン店が悪いという話ではありません。食材の持つさまざまな個性を楽しむために、割合は少なくても存在しなくなるのは残念なことだと思うのです。

そうした思いから、「内藤とうがらし」のプロジェクトがはじまったのですね。

「内藤とうがらし」の存在を知り、なんとか絶滅させることなく、栽培を続けられないかと考えました。その豊かな風味を再現したい、誕生の地 新宿で、地域のブランドとして復活させたい、との思いから、プロジェクトがスタートしたのです。

しかし、原種の「内藤とうがらし」の種を見つけることは簡単ではなかったですね。すでに栽培しているところがほとんどない。方々を探しまわり行き着いたのが、筑波にある種の研究所でした。ここで「八ツ房」の原種の種を分けてもらい、ようやく「内藤とうがらしプロジェクト」がはじまりました。

戸塚地区の顔となる野菜になるとともに、
新たな食文化の担い手に。

その「内藤とうがらしプロジェクト」が、戸塚地区(現 高田馬場・早稲田・落合)での
「アトム通貨内藤とうがらし再興プロジェクト」につながったのですか?

「内藤とうがらしプロジェクト」として、新宿御苑などでイベントを行っていたところ、
2012年初旬、戸塚地域でも内藤とうがらしを栽培したいという相談が、アトム通貨実行委員会から寄せられました。そこで、現在は「アトム通貨内藤とうがらし再興プロジェクト」のアドバイザーとして加わり、皆さんの活動に協力しています。

「アトム通貨内藤とうがらし再興プロジェクト」は、戸塚地域近辺の企業や店舗の皆さんに「内藤とうがらし」の原種の種や苗をお配りし、鉢などで育てていただくところからスタートしています。活動に参加する皆さんは、定期的に集まる機会を持ち、栽培方法について情報交換を行ったり、収穫したとうがらしをどのように活用していくかなど、今後の展開について話し合ったりしているということです。
「内藤とうがらしプロジェクト」の目的の一つは、「内藤とうがらし」に触れることで、地域の歴史を再発見すると同時に、地元の野菜として愛着を持ってかかわっていくことにあります。戸塚地域での活動は、今秋、まさにとうがらしが実を付けるとともに実りつつあり、私も積極的に支援しています。

今後の展開についてはどのように考えておられますか?

とうがらしのおもしろいところは、種類はさまざまながら、世界の2/3の地域で、独自の調理法を用いて食されている大変間口の広い野菜であるということです。日本でのとうがらしは“薬味”としての役割が主ですが、南米、欧州、アジアなど、世界には“だし”として用いる料理も数多く存在します。

なかでも「内藤とうがらし」は、鷹の爪とは違う固有の味わいのある野菜。さまざまな歴史を持った食材ではありますが、昔に思いを馳せるおもしろさだけでなく、将来日本の新しいとうがらし文化をつくり上げる可能性があると思っています。
まずは戸塚地域の皆さんに、楽しみながら育てていただき、愛でたり、食したりしながら、徐々に地域の顔となる野菜として受け継がれていくことを願っています。

 
次回は、「アトム通貨内藤とうがらし再興プロジェクト」を運営する地域の皆さんのお話をお伝えします。