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発酵を訪ねる
知多半島の自然の恵みと古式伝承製法で
地域の味に寄り添う酒をつくる澤田酒造
2025/05/29
発酵を訪ねる
2025/05/29
常滑焼で知られる愛知県常滑市、中部国際空港にもほど近いこの地に澤田酒造はあります。1848年の創業以来、澤田酒造は知多半島の土地と風と水に育まれたお酒をつくり続けてきました。ちょうど仕込みが行われている酒蔵を訪れ、6代目の澤田薫さんにお話を伺いました。
知多半島は、たまり醤油や豆味噌といった旨味の強い発酵調味料が生まれるなど、独自の食文化が根付く土地。澤田酒造のお酒は、そうした土地の味に寄り添う濃醇な味わいが特長です。6代目の澤田薫さんは「この土地で昔から飲み継いでいただいている地元の味。もしかしたら今トレンドの味とは言えないかもしれないけれど、一周回ってやっぱりお酒はこうでないと、と言っていただけるような味わいがあります。もちろん、新たな味への試行錯誤も行っていきたいと思っているのですが」と微笑みます。
6代目の澤田薫さん。
もともと知多半島は、伊勢湾と三河湾に面した栄養豊かな土地で、気候は温暖です。そのため、大豆や小麦、米など、農作物の生産が盛んに行われ、発酵文化が花開く要因のひとつとなっています。
また、冬にこの地を吹き抜ける風は、酒造りに大きな役割を果たしているそうです。
「知多半島は温暖な気候ながら、冬になるとシベリアの寒気を帯びた空気が中国大陸からやってきて、伊吹山と養老山脈の間を抜けていきます。伊吹おろしと呼ばれるこの冷たい風が、酒造りに必要な冷涼な環境を酒蔵にもたらしてくれます」
また、船が着きやすい地形であったため江戸時代には海運業が発展。特にお酒は、主要な生産地であった兵庫県の灘よりも早く江戸に届けられる利点を活かし、たくさんの荷を出していました。
「最盛期には、日本で2番目のお酒の産地となり、1871年には227軒の造り酒屋があったという文献が残っています。今も残る酒蔵の数は少なくなりましたが、かつては華やかなる時がありました」と、澤田さん。さまざまな地理的条件や人々の知恵が知多半島の醸造文化を育んできたと教えてくださいました。
お酒の原料は大変シンプルです。そのひとつであるお米は、酒質を決定づける最大の要件だと澤田さん。澤田酒造では、地元の契約農家に依頼し、澤田酒造のお酒にあった減農薬栽培米を使用しています。
また、仕込み水は、創業より知多半島の中央丘陵部の湧き水を使用してきました。
「酒蔵に引かれる水は、飲料水として問題がないだけでなく、酒造りに適していることが大切です。こちらの蔵に引かれている湧き水は素直な軟水で、この土地ならではのお酒をつくるのになくてはなりません。しかし水源というのは不思議なもので、ここから数メートル離れたところから湧く水には、酒造りに不向きな性質を含んだものもあります。ですから、今なお、私たちのお酒に合った水質が保たれていることは本当にありがたいことだなと思っています。」
そう語る澤田さん。澤田酒造に引き込まれた水の一部は酒造りに使用し、余剰はまた伊勢湾へと返していると言います。
「小さな酒蔵を営み続けることができているのも、自然環境が保たれているからこそです。いただいた水が循環して、また海へと還っていく。人間の営みも自然のサイクルから決して外れていない、そういう価値観を持っていたいと思います。そして、いつまでもきれいな水が保ち続けられるようにと願いますね」
澤田酒造では、普通酒から大吟醸まで古式伝承製法でお酒をつくってきました。その工程に必要なのが、木製の甑(こしき)と、麹蓋(こうじぶた)という道具です。
精米し、ゆっくりと磨きをかけたお米を水に浸すところから酒造りは始まります。甑は、水に浸したお米を蒸す際に使うものです。
「木製の甑は安定した麹づくりに欠かせない」と澤田さん。
「木でつくられた甑は、燃焼効率や維持コストの問題から使わなくなる酒蔵も多くあります。しかし、木は保温性や断熱性に優れた合理的な素材で、“蒸す”工程にとても適しています。いい蒸しができないと、いい麹をつくることはできません。麹菌をつけるお米は、外側が硬くて内側が軟らかい状態を目指すのですが、甑で蒸すことで米を安定して理想の状態にすることができるのです」
蒸米に麹菌をつけた後、麹をつくる工程で使うのが、麹蓋です。今も麹づくりに麹蓋を使う酒蔵は少なく、使っていても大吟醸の仕込み時のみであることがほとんどですが、澤田酒造ではすべてのお酒で麹蓋を用いています。
「実は、4年前、私たちは火災を起こしてしまい、麹室を焼失してしまいました。再建にあたり、働き方も含めた見直しをするなかで、杜氏らとこの先の麹づくりについて話し合いを行いました。その時の彼らの答えは『私たちは麹蓋を使った麹づくりにやりがいを感じているから、新たな麹室でもそのまま続けたい』ということでした。即答でこう答える彼らの様子をみて、それならばと、麹蓋を前提とした麹室を新たにつくることにしました。現代の価値観から見れば、他を知らないがための馬鹿な選択なのかもしれません。しかし、私たちはこれまでこうしてやってきましたし、自ら選択した道が正しい道になっていく、と信じて麹蓋での製造を続けています」
火災直後、麹室を失った澤田酒造の代わりに4つの酒蔵が麹をつくってくれたことで、
翌年から酒造りを再開できたと澤田さん。同業者をはじめ多くの人の支援もあり、麹室は再建された。
手間がかかっても効率が悪くても、このやり方だからできる味があるという思いから、ただ受け継ぐだけではなく、続けることを選択し、澤田酒造ならではの味を生み出しているのです。
2024年、「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録。
澤田酒造の酒造りはまさに、ユネスコが認めた酒造り、そのものだと言える。
つくった麹、蒸米、水の混合物に酵母を繁殖させ、酵母菌を培養し、酒母をつくっていきます。酒母づくりには、蔵に住み着く自然の乳酸菌を利用して雑菌を死滅させる「生酛(きもと)」と、雑菌を駆逐するための乳酸菌を添加してアルコール発酵を促す「速醸酛(そくじょうもと)」という2つの方法があります。現在はほとんどの酒蔵が「速醸酛」を採用しており、澤田酒造も明治時代より「速醸酛」を用いていますが、この「速醸酛」の技術開発に澤田酒造が密接に関わっていることはあまり知られていません、と澤田さん。
「『速醸酛』の製法ができる以前、『生酛』での酒母づくりには、乳酸菌の一種である火落ち菌が繁殖し、一気にお酒が白く濁り、酸っぱく腐ってしまうリスクがつきまとっていました。それは、どんなに裕福な酒蔵も三度続けてこの菌が繁殖してしまうと廃業に追い込まれると言われるほど、酒蔵にとっては大敵、大きなリスクだったのです」
火落ち菌を恐れていたのは酒蔵だけではありません。酒税を大きな税収源にしていた幕府や国も同様でした。そのため、火落ち菌を発生させないための手立てを見つけることは酒蔵にとっても、国にとっても悲願となっていました。そこで、この問題に取り組んだのが、知多半島の酒造業者で組織された組合、豊醸組でした。
「澤田酒造の3代目澤田儀平治は、醸造学校の設立などさまざまな取り組みを豊醸組のひとりとして行った人ですが、彼がこの蔵に豊醸組指定の試験場を設置。1905年に当時の大蔵省醸造試験所から江田鎌次郎技師を招聘して、火落ち菌による腐敗を防ぐ技術の開発に乗り出しました。ここでの研究開発によって確立された技術は『速醸酛』と呼ばれ、日本各地に広がっていくことになったのです」
本家澤田儀左衛門氏が当時の大蔵省大臣 若槻禮次郎氏に宛てた書簡。
江田鎌次郎技師の指導により、乳酸菌を添加する方法がいい成績を収めたことを報告している。
近代酒造りの技術革新の背景に、知多の酒造家や醸造家たちの努力があったことを、多くの人に伝えられたらと澤田さんは考えています。
「知多半島は蔵の数が多くないから見どころはないと思われる日本酒ファンの方もいらっしゃるかもしれません。でも、実は知多半島は酒造りにとって大切な歴史のある場所。発酵の奥深さを気づいていただける場所なのではないかと思っています」
できあがった酒母に蒸し米、麹、水を3回に分けてゆっくりと加え(三段仕込み)、醪(もろみ)をつくり、
糖化と発酵を進めていきます。こうして約20〜40日をかけてお酒になっていきます。
古くから酒造りが行われ、一時は日本で2番目の酒造りの町であった知多半島。伝統的製法を守る澤田酒造のお酒を好み、長く愛飲するファンの方も数多くいます。澤田さんは、そうした皆さんを大切にすると同時に、この味わいを知ってくれる人が増えてくれたらと頭を捻ります。
「以前、県外の人から澤田酒造の代表酒『白老』の味でないと何か物足りないんだよね、と言われた時は本当にうれしかったです。さまざまな日本酒の味を試し、通り過ぎて、地酒の普通酒の味に目覚めてくださる方もいらっしゃる。
私たちのお酒は、広くマスを狙うものではないでしょう。しかし、一方で地場の味を変わらず守り続けることに終始してもいいのか、迷うところでもあります。今はとにかくおいしいものをつくり続けていきたい、その一心なのです」
そう言って、澤田さんは悩みを覗かせます。
1973年をピークにお酒の消費量は下降をたどり、現在は当時の3分の1になっています。今後、日本の人口が減少することや、現在の主たる消費者が50代〜80代であることを考えると、お酒を飲む人をどのように増やしていくかは、酒造業界にとってシビアな問題だと言えるのです。
「澤田酒造では、父の代から酒蔵開放のイベントを始め、私の代では角打ちができる空間を整備するなど、一般の方に来ていただくための工夫を重ねてきました。伝統的に行ってきた酒造りを皆さんに見て楽しんでいただきながら、私たちの酒造りに共感してくださる方を増やしていきたい。年に一度、まるで遠い親戚に会いに行くような気持ちで、県外や国外からここを訪れてくれる人を増やすことができたら、当蔵や日本酒業界を変えらる可能性があると思うのです」
澤田酒造の商品を購入できる直売所。奥には角打ちのスペースがあり、日本酒ファンを楽しませている。
日本酒ディレクター 田中順子氏監修による、澤田酒造の地酒「白老」と4人の作家が作る常滑焼の酒器を
ペアリングするプロジェクト「ささらけ」を展開。
酒器によって日本酒の味わいがどのように変化するか実感することができる。
そのためには一社だけの力では難しいと澤田さんは言います。
「ここには、豊かな海によって育まれたおいしい海産物があり、温暖な気候による野菜や果物があり、名古屋コーチンをはじめ、おいしいお肉があります。また、食事を盛り付けるための常滑焼の器もあります。ガストロノミーの良さがすべてあるのが愛知県の中でも知多半島だと思うのです。ですから、そうしたことを知ってもらうための取り組みをシェフたちも交えてやっていこうという動きが、近年出てきました。まだまだ、志を同じくする仲間たちとの動きではあるのですが、今後もっともっと広げていきたいと思っています」
より多くの人に食、文化、歴史の魅力がつまった知多半島に触れてほしい、そして澤田酒造の味を届け続けたいという澤田さんの挑戦はこれからも続いていきます。
<直売所営業時間>
10:00~16:30(日・祝・年末年始休み)
※予告なく変更させていただく場合があります。詳しくはお問い合わせください。
<お車で>
県道252号(常滑街道)を南へくだり、熊野町1丁目交差点を通過して1分ほど走り右手にあります。駐車場は10台分ほどあります。
<バスで>
常滑市コミュニティバス「グルーン」古場バス停降りてすぐ