発酵を訪ねる

380年、苦難を乗り越えながら
守り続けた伝統製法 カクキューの八丁味噌

2025/06/19

1645年、戦国の世が落ち着き、さまざまな江戸文化が花開く頃、カクキューは業を始めました。それから380年、こだわりの製法を貫き、変わらぬ味を守りながら、多くの人に愛される八丁味噌の可能性を模索し続けるカクキューについて、副社長の早川昌吾さんにお話を伺いました。

水分量の少ない八丁味噌は
江戸時代から重宝された保存食

カクキューの現在の当主は、19代 早川久右衛門氏。1560年の桶狭間の戦いを契機に岡崎に土着し、初代・久右衛門から数えて現在で19代目になる歴史に驚いていると「実は、徳川宗家も今19代目です」と、早川昌吾さん。八丁味噌、そしてカクキューの歴史を伺いました。

「徳川家康が今川義元の家臣として仕えていた頃、早川家の先祖 早川新六郎勝久も今川家の家臣でした。桶狭間の戦いで今川家が敗れ、家康公は命からがら岡崎の大樹寺に逃げ延びましたが、同じ時、早川新六郎勝久は岡崎の願照寺に逃れました。そして、武士をやめて早川久右衛門と名を改め、そこで味噌づくりを覚えました。その後、八丁村(現 岡崎市八丁町)へと移り、1645年に創業しました。

合資会社 八丁味噌 (屋号カクキュー) 副社長の早川昌吾さん。

徳川家康の生まれた岡崎城から西に八丁(約870m)の場所にあることから八丁村(現在の八丁町)と言われたこの地には、今も2軒の味噌蔵があります。そのひとつがカクキューです。この土地でつくる味噌は地名から八丁味噌と呼ばれ、この2軒の味噌蔵は今なお江戸時代から続く製法で、味噌づくりを行っています。

「東側には岡崎城、すぐ隣には矢作川が流れる土地に八丁町はあります。ここは川に挟まれていることから高温多湿で、旧東海道が通る人の行き交う土地だったそうです。また矢作川があることから、大豆や塩などの原料を運ぶのにも適していました。
ただ、湿度の高い土地ですから腐りにくい味噌をつくることが必要でした。そのため、水分量を極めて少なくしてつくる八丁味噌が生まれ、旧東海道を通って、江戸へと運ばれていったのです」

日本全国にさまざまな味噌がある中で、八丁村の2軒の味噌蔵から生まれた八丁味噌の名は全国によく知られています。その理由として早川さんは、「一説には、いい味噌ができるところは武将が強いと言われています。腐りにくく、保存性が高いということは兵糧(戦のときの食料)として優れているという意味があるのでしょうね。岡崎藩にも使われていたこと、またその後、部下が全国に散らばって城の藩主となったことから、八丁味噌は江戸に、そして江戸から各地に広まっていったのではないかと思います」と教えてくださいました。

赤味噌?豆味噌?
伝統製法でつくる八丁味噌とは

ところで、八丁味噌というと「赤味噌」という呼び名を頭に浮かべる人もいるかもしれません。確かに八丁味噌は、信州味噌など一般的な米味噌よりも赤い色をしていますが、「色で味噌を分ける言い方と、原料で味噌を分ける言い方が混同されがち」だと早川さんはいいます。

「八丁味噌は赤味噌であるというのは間違いではないのですが、赤味噌には、米味噌も麦味噌も、そして八丁味噌のような豆味噌もあります。反対に、白い豆味噌というものは存在しません。
豆味噌は、長期熟成するのが特徴で、時間が経つにつれて色が濃くなっていきます。そのため、豆味噌には赤味噌しか存在しません。分類すると、私たちの八丁味噌というのは豆味噌であり、赤味噌であるということになります」

では八丁味噌はどのようにつくられるのか。早川さんに案内していただきました。

「まず大豆を水の中に漬け込み、水を吸った大豆を蒸して潰しながら固めていきます。その大豆の塊に麹菌を繁殖させます。岡崎の八丁味噌とは異なる一般的な豆味噌の場合、親指くらいの大きさの大豆の塊に麹菌をつけていくのですが、八丁味噌の場合はそれよりもかなり大きいのが特徴です」

米味噌の場合、米に麹菌をつけるため大豆は煮ることが多いですが、八丁味噌は大豆自体に麹菌をつけるため、蒸すことで麹菌をつきやすくします。米麹と異なり、原料の大豆がすべて麹になるため、麹のでき具合が味に大きく影響するそうです。

「出来上がった大豆の麹は塩水と一緒に木桶の中に投入します。その後、職人が踏み込み作業を行い空気を抜いていきます。ここで踏み込みを行うのは、酸化や雑菌の繁殖を防ぐためです」

木桶に石を円錐状に積み上げ
2年以上天然醸造でつくる伝統的な八丁味噌

カクキューの味噌の大きな特徴のひとつに、今も木桶を使っているということがあります。吉野杉の木を使った木桶は、1本で6トン分の味噌が仕込めるようになっています。

「この木桶の中に仕込みを行った後、石積み作業を行います。6トンの味噌に対して3トン、個数で言うと大小を合わせて350400個ほどの石を積み上げていきます。これが伝統製法でつくる八丁味噌ならではの風景ですね。少ない水分で味噌を仕込むためには必要な製法です。水分が多い味噌の場合、これ程の重石は必要ありません。
岡崎の八丁味噌は、たくさんの石積みで高い圧力を与えることにより、少ない水分を桶全体に行き渡らせています。この円錐状の石積みは、八丁村で味噌を仕込む私たち2軒の味噌蔵だけですね」

熟練の職人が積み上げた石は、微動だにしないという。

石積み作業は、職人が一つひとつ手で行っているといいます。

「職人には、豆麹づくりと石積みの両方の技術が必要です。しっかりできるようになるには、10年くらいかかりますね。先輩職人が木桶の上に石を積む間、若手職人は適した石を選び先輩職人にわたすところから修行が始まります。大きさも形もバラバラの川石ですから、その場でこの石がどこに当てはまるのか選ぶ技術を磨くのにも時間がかかるんです。
職人は、段階を経て修行を積んでいきますが、麹づくりから石積みまで一通りできるようになって一人前になります。専任の職人をつくると、その一人がいなくなった途端に技術が途絶えてしまいかねません。この技術を後世に残していく、そのために職人を育てています」

経験も体力も必要な職人の仕事。こうした作業を行う醸造の現場は今ではとても少なくなっています。さまざまな技術を習得し任せることができる職人を育てることは、蔵にとって非常に重要なことだと早川さん。

「木桶の上に石積みをした後は、木造の蔵の中で、温度管理をすることなく2年以上寝かせます。八丁味噌は、味噌の中でも長期熟成の味噌ですね。高い温度に調整して熟成させれば味噌は早く熟成しますが、当社は天然醸造にこだわっています。じっくり自然にできあがりを待つことで、八丁味噌がおいしく仕上がるのです」

カクキューの歴史、八丁味噌の歩みを
知ることができる史料館

かつて大蔵として味噌の熟成や豆麹づくりが行われていた場所が、現在は史料館になっています。中には味噌づくりの道具や宮内省(庁)御用達の資料など、カクキューの歴史がわかる品々が展示されています。

「カクキューで仕込みに使用する木桶は、底面の直径が約1.8メートル、高さ約1.8メートルという大きなものです。この大きさは、昔の寸法でいうと6尺になるので、6尺桶と言われます。今こちらにあるのは1839年、今からおよそ190年前につくられた桶ですね。見ていただくと作った当時の年号が彫ってあるんです。うちでは180年以上前につくられた桶もいまだに現役で使っています」

木桶の底に刻まれた桶師と制作年。

昔は酒や醤油、味噌などは全て木桶が使われていました。酒蔵で使われた桶が醤油蔵や味噌蔵に回ってくるなど、木桶は長く大切に使われてきました。

「私たちが木桶にこだわるのは、木桶には当社の味噌の風味に影響する菌が住みつき、菌を代々引き継ぐという重要な役割も担っているから」と早川さん。

しかし、永久に使えるわけではありません。木桶職人が減る中、現存の職人に継続して仕事を依頼することで、できるだけ事業を継続してもらえるよう働きかけているそうです。

「年間数本ずつ新しく発注をかけています。それは、私たちの事業の継続に木桶の職人さんが欠かせないからです。近年は、酒蔵や醤油蔵でも木桶が見直され、重要視されるようになりました。一度ステンレスの桶に変えた後、再度木桶に挑戦する蔵も出てきています。」

そうした流れから、若い木桶職人も生まれているそうです。食品を製造する蔵だけでなく、道具をつくる職人がいることで、伝統的な製法を継承することができているのです。

伝統的な製法を守りながらつくってきたカクキューの味噌ですが、実は50年以上前から本格的に輸出されるようになり、世界各地にファンがいます。それを後押しした一冊の本が、史料館にありました。

「『THE BOOK OF MISO』というこの本は、日本人と結婚したアメリカの方が、日本の味噌ってすごくいいものだということで、日本全国の味噌蔵をまわり、日本全国の味噌蔵と、約400のレシピをまとめた本です。1976年にアメリカで出版されたんですが、これが評価されたことで、海外の方に味噌が認知され、当社を訪れる海外のお客様が増えるきっかけになりました。表紙の真ん中に『八丁味噌』の文字があります。赤味噌と八丁味噌を分けて表現されているので、八丁味噌が全国でも特徴的なつくり方をしていることを認識してもらったのだと思っています」

『THE BOOK OF MISO』。表紙に描かれた味噌の中に「八丁味噌」も並ぶ。

他にも、保存性の高さから南極に持っていく保存食として選ばれ、その御礼として届いた南極の石や、八丁味噌を愛用していた著名人からの注文の記録や手紙などの展示物が並び、八丁味噌の伝統製法についてはもちろん、多くの人に愛された歴史を知ることができます。

日本の食文化を繋ぎ
八丁味噌の製法は文化や精神も次世代に

味噌蔵、史料館の後、併設する売店を案内していただきました。店内には、八丁味噌や八丁味噌の風味を活かした赤出し味噌はもちろん、八丁味噌を使った味噌煮込みうどんやラーメン、お菓子など、さまざまなコラボレーション商品も並びます。早川さんは八丁味噌を多くの人に味わってほしいと言います。

「日本の食文化は少しずつ変わり、国内の人口も減少しています。これはどうしても防ぐことができないかもしれません。しかし、昔から日本人の長生きの要因には日本の食文化が関係していると言われ、近年発酵食が見直されてきています。味噌をはじめ、日本の食文化がこれからも多くの人に愛されるものでいてほしい、そのひとつのピースとして、私たちの八丁味噌があるといいなと考えています」

年に1桶、限定生産。希少な国産有機大豆を使用した八丁味噌。

八丁味噌をフリーズドライ製法で水分だけ抜いて乾燥させた八丁味噌のパウダー。
スイーツと合わせたり、納豆にかけるなどさまざまな用途に使うことができる。

最後に早川さんが想いを伝えてくれました。

「私たちは、ここで八丁味噌をつくり続けてきました。歴史をたどれば、創業からの380年の間にはたくさんの苦難があったことがわかります。江戸から明治にかけて、たくさんの法改正がありました。また、戦時下の統制令で簡単に安くつくれるものを出すように言われたときも、それでは技術が繋がらなくなると、休業して耐え忍んだ歴史もあります。近年では、コロナ禍やGI保護制度の問題もありました。そうしたさまざまな苦難を乗り越えながらここまでやってこられたことが私たちの強みです。
ですから、この先も伝統製法を引き継ぎながら、100年、200年と八丁味噌の製法だけでなく、文化や精神を次世代に残していきたいと思っています。そのためには、変化の激しい世の中で、味噌を好きになっていただく、おいしさを知っていただく活動をしていかないといけません。既存の商品を大切につくり続けながら、新たな商品づくりにも力を入れていきたいと思います」。

合資会社八丁味噌(製造・販売)

住所:
〒444-0925
  愛知県岡崎市八丁町69番地
TEL:
(0564)21-0151
URL:
https://www.kakukyu.jp/

株式会社カクキュー八丁味噌(見学・売店・食事処)

住所:
愛知県岡崎市八丁町69番地
TEL:
(0564)21-1355