愛媛、食の現場へ

「料理が苦手な人も、肩の荷を下ろして。
発酵調味料で食卓も人生もにこやかに」
かぁちゃん工房 大谷りえさん

2025/08/21

目の前に海が広がり、みかんの木が植わる段々畑、道行く人に軽トラックからにこやかに声がかかります。ここ愛媛県西予市明浜町で「かぁちゃん工房」を伝承し、発酵料理人として活動する大谷りえさん。子ども4人のお母さんでもある大谷さんが、なぜ発酵調味料や発酵料理を伝える料理人になったのか、お話を伺いました。

高校生の時にバセドウ病を発症
健康や食と向き合うきっかけに

「これが、『塩糀』『しょうゆ糀』こちらが『たまねぎ糀』、こっちは『ニラ塩糀』と『焼き肉のタレ糀』です。一口ずつ食べてみてください」。手渡された糀の調味料は、「かぁちゃん工房」でつくられた大谷りえさん手づくりの味。それぞれに特徴があり、旨みが際立っています。「おいしい!」思わず感想がもれる私たちに、「そうなんです。豆腐に乗せたり、素材に和えたり、炒め物やスープにこれらを加えるだけで、簡単に味が決まっておいしくなるし、身体にもいい。本当に便利な調味料なんですよ」と大谷さんは満面の笑みです。

「糀を使って、さまざまな発酵調味料ができます」と大谷さん。

愛媛県西予市明浜町出身。大阪で結婚をして、そのまま大阪に“骨を埋める”つもりだったという大谷さんが、Uターンでこの地に戻り、発酵料理人として活動するようになったのは2021年のこと。まずは、発酵食との出会いから伺いました。

「発酵食に出会ったのは、7年くらい前。調理師として働いていたこともあるので、もともと料理は好きだったんですが、糀を使って自分でつくる発酵調味料のおいしさに魅力を感じたのはもちろん、身体が整って健康になっていく実感があって。どんどん発酵調味料にハマっていきました」

自分自身のことを“健康オタク”と表現する大谷さん。特に食に対する思いは人一倍強かったそうです。

「きっかけは、高校2年生のときに、バセドウ病という病気を発症したことでした。2年間、ドクターストップで体育ができなかったりして。どうしたら健康になれるのか?健康を取り戻すためには?と真剣に悩む中で、食への関心が高まっていきました」

そんな大谷さんが発酵調味料に出会ってからは、毎日の食事に使うのはもちろん、時折、友人などを集めて発酵料理教室を開くように。さらに体調を崩しがちだった長女の心春(こはる)ちゃんの変化が、発酵調味料への信頼を確かなものにしていきました。

「私が発酵調味料を使い始めた頃、長女は3歳でした。それまでの彼女は、保育園に行ってもすぐに風邪などをもらってきて、高熱を出して保育園をお休みすることがしばしば。半年ごとに届く病院の通院履歴を記したハガキには、何行にも渡って病院名が並んでいる状態だったんです。でもある時届いたハガキに記されていたのが、たった2行だけだったのを見て、あれ?最近病院に行かなくなったなって。何でだろうって考えていたら、夫が『糀じゃない?』って言ったんです。『確かに!』と思いました。我が家の料理に発酵調味料を使うようになった時期と、彼女が保育園から風邪をもらってくることが少なくなった時期が重なっていると気がついて。それで、いかに発酵調味料が身体の調子を整えてくれているか、実感したように思います」

以来、大谷さんは以前にもまして、家庭料理に発酵調味料を積極的に使うようになりました。また、身の回りの人にも発酵食を取り入れることを勧めるようになっていったそうです。

身体の中が整うことで
気力が生まれる

特別につくっていただいたお弁当。地元の農園の野菜や地域の食材と塩糀など、発酵調味料を使った
おかずが彩り鮮やかに詰まっている。

「夫の弟の奥さんが全く食に興味がなくて。美容師をしていたのですが、食事の時間が不規則だし、手軽に早く済ませられるものばかり食べているから、肌の調子も良くなくて。私は彼女のことがすごく心配でした。だから、どうしたら健康的な料理を食べてもらえるか、すごく頭を悩ませたんです。彼女が発酵調味料を使って料理してくれるようになったら、私は最高にハッピーだって思って、めちゃくちゃ考えました」

いきなり、「つくったほうがいいよ」というアドバイスはしなかったと、大谷さん。できるだけハードルを低く、そっとそっと発酵調味料の魅力を伝えていったそうです。

「興味がない人に無理に勧めても、絶対にやりません。だから、我が家に誘って私がつくったものを食べてもらって、食に興味を持ってもらえるようにと考えました。そのうちに、『これ何?』と、聞いてくれるようになって。そこから、徐々に徐々に料理に使っている糀の話をするという感じで伝えていきました」

そんな彼女も今では、さまざまな糀の調味料をつくって料理に使う習慣がすっかり身についたそうです。

「3年かかりました(笑)。でも、時間がかかっても、食を通して身体を整える習慣がついてくれたらという気持ちが、私の中にとても強くありました。だから、彼女の食に対する考え方を少しずつ聞いて、段階を追って『これどう?』という感じでアドバイスをしていくことを繰り返しました。夫の弟も糀料理が好きになり、『これ食べたいなぁ』ってリクエストするようになりました。そのうちに、やってみようかなって、料理をつくるようになり、発酵調味料を手づくりして常備するまでになったんです。
この経験が、目の前の人がどうしたら食を大切に思って、発酵調味料をつくろうって思ってくれるのか真剣に考えるきっかけになりました。それに、人の“やる気スイッチ”を入れるのが、とっても得意になったように思います」

なぜそこまでして、大谷さんは目の前の人に発酵調味料を伝えたいと思ったのか。そこには、大谷さん自身の経験がありました。

「ひとつは、私の育ってきた環境が関係していると思います。うちの両親はあまり仲がよくなくて、食事の時にすごく喧嘩をしていたんですよ。だから、私は食事の時間が毎日とても苦痛でした。でも一方で、自分自身の健康を真剣に考えたときに、食に向きあわなくてはいけなかった。そういう経験から、さまざまな理由で食に対して前向きになれない人の気持ちがわかるし、だからこそ、少しでも楽に料理をしながら健康につなげてほしいという気持ちも人一倍あるんだと思います」

さらに、人との出会いによって自分自身に向き合った過去が、大谷さん自身に大きな影響を与えていました。

「私は、ある時まで“諦めの達人”だったんです。でも人との出会いやさまざまな縁もあり、自分自身を見つめ直し、ズレていたピントが徐々に合って。ようやく『自分は幸せになっていい』って自分に許可をあげることができ、『最高の人生にする!』って覚悟を決めることができました。私にできたのだから、必ず誰もが、本来の自分に還ることができるっていう確信が私にはあります。そして、そのために、まずは食によって身体の中を整えることがとても大事なんです。身体の中が整うからこそ、気力が生まれたり、自分にもできるかもしれないっていう気持ちになれるのだと思っています」

みんなが楽に料理できたら
それが一番!

義理の妹さんが発酵調味料を使いこなせるようになった頃、大谷さんに転機が訪れます。生まれ育った明浜町への移住の話が持ち上がったのです。直接的なきっかけは、2018年に起こった西日本豪雨でした。大谷さんの実家はみかん農家を営んでいましたが、豪雨によってみかん畑は甚大な被害を受けてしまいます。

「両親はいい歳ですし、実家を継ぐ人がいないから畑をもう一度立て直すのは難しい。もうあのみかんを食べることはないのかな、とそんなふうに思った時、なんと夫が『僕が継ごうか?』って言ったんですよ。本当に驚きました。夫には大阪に仕事がありましたし、実家も大阪にあります。最初はまさかと思いました。でも夫は本気でした。私は自分が育った明浜町が大好きだったので、『帰れるんだ』と、本当にうれしかったですね」

人の優しさ、温かさこそが明浜町の魅力だと大谷さん。軽トラックに乗る大谷さんに気づいた地元の人から気軽に
声がかかる。

西日本豪雨から2年後、長女が小学校に上がるタイミングで、大谷さんは、明浜町に戻ることになりました。縁あって地域の婦人部が使っていた加工場を借りることができた大谷さん。この加工場を引継ぎ、かぁちゃん工房としてワークショップなどを開催し、発酵調味料を広める活動を続けています。

大谷さんが愛情を込めて、清(きよ)さんと呼ぶ坂下清子さん。もともと加工場を切り盛りしていた清さんが、
「この加工場をあなたに譲るわ!好きに使って」と言ってくれたことから、かあちゃん工房はリニューアルした。

「料理が嫌いな人を、料理が楽しくなって、『早くつくりたい』ってワクワクさせるのが私の仕事。キッチンに立って料理するのが苦痛で仕方がない人もいます。でも食って365日3食、一生ついてくるものじゃないですか。にもかかわらず、辛い人には本当に辛い作業で。特にお母さんの場合、子どものためにという思いと苦痛の間でキーーッとなってしまう。そこから脱却してほしいという気持ちが強くありますね」

自身の経験もあり、家庭料理はとても大切だと語る大谷さん。レストランの料理とは違う家庭の味だからこそ、楽に安全安心な料理をつくってほしいと考えています。

「料理が苦手な人って、自分の料理に自信がないですよね。レトルトなどを使えば簡単だけど、使うことに罪悪感を持つ人も多い。添加物はなるべく避けたいという思いもある。そんな人にこそ、糀の調味料を使ってほしいんです。料理にこれをかけるだけ、スープにこれを入れるだけで、味がバチッと決まっておいしくなります。そしたら、肩の荷がポーンって下りるんですよ。実際にワークショップに参加した人は『えーーーっ、これを入れるだけで、こんなにおいしくなるんですか』って驚いています。70代の女性に教えた時も『こんなに簡単に料理ができるなら、もっと早く知りたかった』と」

大谷さんがつくる発酵調味料。

さらに大谷さんは、自身がワークショップをするだけでなく、つくり方を覚えた人にはどんどんまわりの人にその良さを伝えてほしいと言います。

「私が調味料をつくって売るのでは量が限られているし、私が伝えられる範囲も限られています。だから、まずはできるだけシンプルにつくれる方法を考え、多くの人に『今日からすぐつくってみよう』って思ってもらうことが大切です。そのために、できるだけわかりやすく、やる気になってもらえるよう伝え方を工夫しています。
そして、つくり方を覚えてくれた人には、『今度はあなたたちが先生になって、近所の人や大事な人に教えてあげて』と話しています。そうしたら私が直接伝えられない人にも伝えることができる。だから『頼んだよ』みたいな感じなんです。そうやって発酵調味料が広がっていってほしい。みんなにつくってもらって、みんなが楽に料理できたら、それが一番。肩の荷を下ろして、発酵調味料を入れるだけ、それだけでいいからねって。そのことを多くの人に知ってほしいですね」

にこやかな食卓が増えることで、心身の調子が整う人が増えることを願って、今では年間300人ほどの人たちに発酵調味料の魅力を伝えている大谷さん。夢はさらに広がります。
「いつかこの大好きな明浜町でリトリートができる場所を開きたいんです。まだまだやりたいことがいっぱいありますね」と、こぼれるような笑顔で語ってくれました。

発酵料理人

大谷りえ(おおたにりえ)さん

発酵料理人

大谷りえ(おおたにりえ)さん

Instagram:@riesimesi999