料理の匠、産地の匠

東京・赤坂「赤坂ひかわ」
料理長 田中勝氏 × 白子筍生産者 白井三郎氏【前編】

2013/06/07

おいしい料理の陰には、それをつくる料理人と産地から料理人を支える人々がいます。「料理の匠、産地の匠」では、毎回料理人が産地を訪れ、産地の匠とともに語り合います。

第二回となる今回は、東京赤坂にある割烹料理店「赤坂ひかわ」の料理長・田中勝氏が、京都府木津川市山城町(棚倉地区)で伝統の白子筍を育てる白井三郎さんを訪ねました。

京都・山城筍の原点を訪ねる

3月の終わり、天気予報では一日雨。前日桜の満開宣言が出されたばかりだというのにわずかに肌寒い。目的地の棚倉は京都の南端に位置し、京都駅からJR奈良線を乗り継いで一時間ほど。向かう車内で田中料理長に聞いた。

―なぜ棚倉の筍に興味を持ったのですか?

「春はなんといっても筍。筍といえば京都、それも山城産が有名ですが、その原点が棚倉にあると知ったのが初めです。しかもその筍は生で食べられ、アク抜きのために下茹でする必要もないというじゃないですか。これは非常に魅力的でしたね。もちろん、茹でることは悪いことではないんです。甘みも出るし、確かに美味しい。でもそれと同時に本来の大切な持ち味が湯の中に逃げ出てしまうと思うんですよ。その必要がない筍……これはぜひ、自分の目と舌で確かめてみたいなと」。

現在、地元・京都以外では【筍・京都産】と大きくひと括りに表示がされ、細かな産地までは明記されていないことが多い。またひと括りにはされてはいないにしても“山城”産や“乙訓(おとくに)”産が多く、棚倉の名を目にすることは少ない。実際、田中料理長もつい最近までその名は知らなかったという。しかし、実は昭和30年頃までは農協の市場を通じて”棚倉の筍”として出荷され、その名は知られていた。だが棚倉村が昭和31年に高麗村、上狛町との合併によって山城町となったため、それ以降は“山城の筍”として出荷されるようになり、棚倉の名が消えたのである。

棚倉市場で、初対面

幸い雨は早朝に少し降った程度、無人の駅舎を出ると、かね正青果㈱の方が待っていてくれた。「歩いて、ほんますぐですわ」。向かうのはJA京都やましろ山城町農業協同組合の棚倉筍卸売市場、まずは筍の競りを見学させてもらおうというわけだ。


今年の初市は3月27日、この日も市場前の駐車場いっぱいに筍の山が並ぶ。「最盛期はこんなもんやないですよ」。そう話すのはかね正青果・常務取締役 土明 康征(つちあき やすまさ)さん。市場が開かれるのはひと月半程度、なかでも最盛期は4月の10日あたりからわずか10日間ほど。その頃には収穫した筍を積んだ軽トラックが竹林と市場を5往復もするという。周囲を見ると、荷台にケージのような鉄の檻を積んだ軽トラックが何台も停められている。「あれは加工用の筍を積んでくんです」。籠のまま一気に茹でるのだという。棚倉の筍は加工用のものもやわらかく、品質が良いのだそうだ。

本物の白子筍とは

並んだ筍を見ると、どれも根元の部分が抜けるように白い。なるほど、さすがは白子筍の産地

……などと思ってカメラを向けていると、「それは違いますよ、これがほんまの白子ですわ」と、土明さんが足元の山からひとつを取り上げて見せてくれる。見るとその穂先は黄金色、全く日の光に当っていない証拠だ。一方、先程感心していたものは、わずかに黄緑がかっている。「ちょっと食べてみますか?」。おもむろに山の中から何本かを取り上げると手早くアルミホイルで包み、競りが始まるのを待つ人たちが暖をとるドラム缶の焚火の中に放り込んだ。

「ちょっと焦げてしもたね」。焚火に放り込んでわずか数分、市場の片隅の事務机の上で切り分けてくれた筍は、真っ白で見るからに瑞々しい。周りは汁が溢れ出しフツフツと沸いているが、中心にはほとんど火が入っていないように見える。口に入れると一瞬にして若竹の緑の香りが広がる。甘い! やわらかいのにコリコリとした食感も心地良い。「いや、これは素晴らしい」田中料理長が思わず唸る。香りを嗅いだり光に透かしたり……確かめるように味わう。「食感、味…まぁいろいろありますけど、私は筍は香りやと思うんですよ」と土明さん。「茹でると、どうしても香りが逃げてしまうでしょ。こうやるのが一番美味しいと思いますよ」。素材の良さが湯に逃げる、田中料理長と全く同じ意見である。

感動しきりの私たちの後ろで競りが始まる。進行役が棒で山を指し、歌うように「4キロやで~、ピンク色やで~」「次はこれにしよか~7キロ、7キロやで~」。競り人が応え、業者は指をスッと出して値段を示す。そうして次々に競り落とされていく。競りがひと段落した頃、土明さんが声を掛けてくれた。

「白子筍もいろんな方が作られてますけど、なかでも私が一番やと思ってる人の所に連れてってあげますわ」。

筍を育てることは、土を育てること

「私、ほかに自慢できるものは何にも持ってませんけど……この筍だけは自慢なんですわ」。そう言って笑うのは、生産者の白井三郎(しらいさぶろう)さん。公務員を定年退職後、山を受け継いで筍農家になった。今年で25年になる。

ふもとまで迎えに来てくれた白井さんの軽トラックの荷台に乗り、山道を登る。道幅は車一台がやっと通れるくらい。車体が左右に大きく揺れる度、転がり落ちるのではないかと冷や冷やする。辺りは一面竹林、竹の若葉が光を透かして蛍光色に光る。

棚倉がいくら名産地であるからといって、時季が来れば勝手に良い筍が生えてくるわけではない。必要なのは水はけの良い粘土質の土である。筍はその重みに押されてなかなか地上に出ることができず、ゆっくりと時間をかけて育つ。長く地中に留まり、空気や光に触れずに育ったからこそ、より真っ白で、よりみっちりとした美味しい筍になるのである。つまり、良い筍は良い土壌が育て、その土壌を育てるのが白井さんたち筍農家というわけだ。

「土をいじってる時間が好きなんです」

「好きなんです、どの時間よりも楽しいんですわ」。白井さんは笑顔でいとも簡単に話すが、土壌づくりは大変な労力を要する。地面を調えて稲藁を敷き、土を入れ(本来の地面から数10センチも高くなっている)、古くなったらまた入れ替える。また竹林の管理にも手間がかかる。下草を抜き、古くなった竹を切り、若竹が伸び過ぎないよう先端を折って成長を止め……こうして竹“藪”ではなく竹“林”にするのだ。白井さんの竹林がこんなにも明るいのは、手入れが行き届いている証なのである。

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