食の知恵に導かれ、伊豆大島へ

Vol.7 産業の歴史が刻まれた、 『大島牛乳』は島の宝。

2019/04/04

Vol.7  産業の歴史が刻まれた、 『大島牛乳』は島の宝。
Vol.7  産業の歴史が刻まれた、 『大島牛乳』は島の宝。

「伊豆大島の牛乳は美味しい」。このことを知っているのは、かなりの伊豆大島ツウかもしれません。「牛乳は苦手だけれど、『大島牛乳』なら飲める!」そんな声もたくさん聞こえてきます。ゴクゴク飲める、さらりとした飲み心地で、飲んだ後もお腹にもたれない。軽やかな『大島牛乳』ですが、その背景にあるのは島が抱えてきた切実な食の事情と、静かに受け継がれる強い信念。伊豆大島の伝統産業である酪農の波瀾万丈な歴史が、ギュウ〜ッと詰まっているのです。

「東洋のホルスタイン島」と呼ばれた時代

ぶらっとハウス』の前の牧場で、エサを食べてのんびり過ごす牛たちの様子が見られます。

伊豆大島を訪れると、ホテルの朝食や温泉施設、地元のスーパー、土産物店でよく見かけるのが、レトロな椿と三原山の絵柄が愛らしい『大島牛乳』です。

伊豆大島で牛乳? と不思議に思いますが、飲めば納得。のど越し抜群でとても軽やか。仔牛が夢中でゴクゴク飲むのが想像できるような軽やかな飲み心地。人気の理由を実感できるでしょう。

しかし、やっぱりわかりません。なぜ、伊豆大島で牛乳なの?

伊豆大島の総面積は約91㎢。東京都の約24分の1。1時間もあれば車で一周できるほどの、けして大きくはない島です。島の真ん中には大きな三原山とその樹海が広がり、島の周りは豊かな海が。牛乳と結びつく要素が思い浮かばないのです。

「伊豆大島は「東洋のホルスタイン島」と呼ばれていた時代があったほど、酪農が盛んでした。どの家でも乳牛を飼っていて、私も子どものころはエサやり担当だったから、毎朝牛にエサをあげてから学校に行っていました。家でサツマのツル、トウモロコシの茎などを集めて発酵飼料を作っていたもんだから、臭いっていじめられたこともありました。臭くない!いい匂いだ!って言い返して。ケロッとしてましたけどね」

かつては大島町の町議会議長を務め、今は『大島牛乳』社長として奮闘している白井嘉則(よしのり)さん。

話を聞かせてくれたのは『大島牛乳』社長の白井嘉則さん。

なぜ、伊豆大島で酪農が盛んだったのか? その理由を尋ねると…

「明治時代に入り、国に納めるのが年貢から税金に代わりました。つまり物納から現金になったんです。離島というハンデを抱える伊豆大島で、安定して現金を得るのはとても大変なことでした。そこで目をつけられたのが畜産だったのです」

時代が変わり、食の欧米化が進み、肉の需要が急激に増大していきます。畜産は効率のよい収入源。資源に限りがある伊豆大島における重要な産業となり、根付いていきました。

「畜産において海の存在は重要です。牛は体温が高く熱さに弱い。だから風に当てて体を冷やすことが大切なんです。その点、海に囲まれた大島は潮風が吹くから都合がいい。牛も人間と一緒でミネラル源として塩分を欲しがります。だから昔は、牛を引いて海辺を散歩させる光景もよく見られたようです。牛を潮風に当たらせて、浜辺に生えている青草を食べさせてミネラルの補給もできるから一石二鳥ってわけです」

牛を引いて海辺を散歩するのは日常的な光景だったそう。伊豆大島は、牛にとって快適な環境が揃っていたのです。
(『伊豆大島懐かしの写真集』より)

酪農は風土に根付く頼もしい産業

しかし、牛といえば草食ですが大食漢。胃袋が4つもあり、食べる量も膨大で1日に何十kgものエサを食べると聞いたことがあります。かつて一家に数頭の牛を飼い、昭和元年には大島の乳牛飼育頭数はなんと1200頭にも達したそうですが、伊豆大島の牛たちは、エサに困ることはなかったのでしょうか?

「伊豆大島は気候が温暖なので、一年中青い草があるんですよ。牛の好物のタガヤ、明日葉、オオシマカンスゲなどは、とても丈夫で繁殖力が高く、島のあちこちに自然と育っていたので、エサに困ることはありませんでした。私も、小学生のころから高校を出るまで、休みの日には親と一緒に背負子をしょって、山にエサの収穫にいったもんです。牛の乳を搾ることを専門にする搾乳士(さくにゅうし)もいて、搾乳場に牛を連れていって乳を搾ってもらうだけでなく、家に招いて搾ってもらうこともあったほど、牛は大事にされていました」

幼き白井少年は「牛が可愛くて、牛が喜ぶから」と、よくブラッシングもしてあげていたそうです。

牛は伊豆大島の気候、風土に適合して快適に育ち、牛の糞は大島の痩せた火山土を肥やすのに大いに役立ったといいます。牛は生活を支える大事な収入源であるだけでなく、土地を豊かにする役目もあったのです。これはサツマイモをはじめとする農作物にとっても大きな恩恵を与えていたのでしょう。

もちろん、牛の世話は立派な仕事。女性は牛のエサの収穫に励み、搾乳士といった仕事も生み出されていました。酪農は誰もが関わることができる、暮らしと風土に根付く、頼もしい産業だったのです。

大正10年の全国畜産博覧会では、伊豆大島の吉川三吉さん飼育のエリザベスが、搾乳量日本一に。1カ月の検定平均で1日あたり42.84リットルもの乳を出したというから驚き! (『伊豆大島懐かしの写真集』より)

姿を消した『大島牛乳』

伊豆大島を支える一大産業となった酪農。『大島牛乳』や『大島バター』が誕生し、人気のお土産『牛乳煎餅』や、ホテルの名物『牛乳風呂』も話題に。昭和初頭には、伊豆大島は〝牛乳の島〟として取り上げられたほどだと言います。

ところが、戦後の混乱を乗り越え、生き残った乳牛を飼育して、ようやく頭数が順調に増え、酪農事業を拡大させようと目標を立てたところで、時代が大きく動きました。

「輸入自由化、大手メーカーとの価格競争などの影響が重なって、大島の酪農は低迷していきました。1995年には、島内の酪農家は4軒、乳牛は78頭にまで減ってしまった…」

このままでは伊豆大島の伝統産業であった酪農がなくなってしまう。大島町は町営の牧場を整備し、仔牛の育成を促進。牛乳工場を稼働させ牛乳、バターの製造販売を行い始めた結果、夏には需要が追いつかなくなるほどの生産量となり、余剰の牛乳で作るバターの製造量も大きく回復したそうです。

しかし、2007年には牛乳の消費量の減少や島内の高齢化による労働力不足などにより、牛乳やバターを製造販売していた会社が経営困難で倒産。店頭からも、学校給食からも『大島牛乳』は姿を消してしまいます。

子どもたちに『大島牛乳』を飲ませたい

「牛は大島で生まれて、大島の草を食べて育ち、仔牛を産み、代々受け継がれてきた財産。一度絶やしてしまうと取り返しがつかない。なんとしてでも、伊豆大島の酪農を守りたい。その一心でした。当時私は、大島に戻り、大島町の町議会議員をしていて、議長を務めたこともあったから、島の人たちが私のところにしきりに訴えてくるんです。特に学校給食を担当している栄養士さんの声は印象に残っています」

「子どもたちが〝『大島牛乳』と味が違う〟と言って、牛乳を残すようになった」
「美味しくて安心な『大島牛乳』を、ずっと子どもたちに飲ませたい」
「『大島牛乳』は本物の牛乳。子どもたちに本物の味を知っていてほしい」
「学校給食から『大島牛乳』をなくさないで!」

栄養士さんは、何度も何度も白井さんを訪ねて来ては、『大島牛乳』の存続をお願いしたそうです。食の記憶は心と体に刻まれるもの。食を通じて多くのことを子どもたちに教える栄養士さんの思いは、白井さんに強く響きました。

2008年の春、有志約190人が集まって『大島牛乳愛好者同好会』を立ち上げ、『大島牛乳』と『大島バター』の復活運動を始めると同時に(株)大島牛乳を設立。私は、〝赤字でもやるべきだ!〟と他の議員たちに働きかけました。こうした島内で盛り上げる思いを受け止めた当時の町長・藤井静男さんが〝大島の牛乳を絶やしてはダメだ! 大島町も協力する〟と、『大島牛乳』の製造存続を決断されたんです」

白井さんの言葉に当時の熱が蘇り、大島における酪農の意味が強い力で伝わってきます。

その後、議員を退いた白井さんは、(株)大島牛乳の社長となり『大島牛乳』の維持、発展に尽力し続けています。伊豆大島から隣の利島に転勤になった先生や学校給食を担当している栄養士さんの要望に応え、利島に『大島牛乳』を届けたり、『大島牛乳アイス』を開発したり、食にまつわるイベントに積極的に参加するなど、パワフルに活動。

「議員時代の恩返しだから」と、白井さんは軽く話しますが、相当な覚悟と責任を抱えていることを感じずにはいられません。島の歴史を背負い、次の世代に繋げるという思いは、75歳を過ぎた今でもフツフツと熱くわき上がっているのです。

『大島牛乳』の製造は、驚くほど少人数で行われています。基本の作業は、牛の世話と搾乳を担当するのが1人、牛乳の製造ラインに3〜4人、アイスクリーム作りに1人。搾乳量が多かった日はバターの製造も行うので、白井さんも加わって、交代で休みを取りながら日々作業を行っているそうです。

「三原山が噴火して、全島民避難になったときも、島に残った消防団の人たちが牛たちにエサを与え、世話をして守り抜いてくれた。そんな牛たちを、牛乳を、時代の流れのせいにして、簡単に絶やすわけにはいかない。だけど、正直、今は人手が足りなくて、ギリギリの人数でなんとか踏ん張っている状態なんです」

牛たちの世話をするのは松田誠一さんひとり。牛たちは牧場でエサと食べ、のんびりと過ごし、搾乳の時間になると松田さんの掛け声で列になって搾乳場にやってきます。牛が神経質になる搾乳中も優しく声を掛ける様子は、まるで牛たちのお父さんのよう。

牛だけでなく牛乳も生き物。製造ラインを清潔に保つため、部品を取り外してピカピカに消毒。このた作業だけでも1時間以上かかるそうです。

アイスクリームもあっさり味。「夏なら2個ペロリと食べられる!っていう人もけっこういるんですよ」と白井さん。隙間なくアイスを詰めるのが白井さんのこだわり。

取材日に牛乳の製造を担当されていた皆さん。左から高橋俊二さん、笠間昇さん、工場長の及川栄三さん、社長の白井嘉則さん。

根っこにあって変わらないもの。それが伊豆大島の宝

伊豆大島には、守られ、受け継がれている食文化がたくさんあります。
この連載で取り上げてきた、天然塩、くさや、べっこう寿司、サツマイモ、椿油、明日葉、そして牛乳。
戦後の急激な暮らしの変化と、それに伴う食の欧米化、簡略化は、日本を飲み込む大きな波でした。風土と暮らしから生まれた食文化は、あわや波に飲まれてまったく違う形に変化したり、なくなってしまっても不思議ではありません。

それでも大きく変わることなく、受け継がれてきた伊豆大島の食文化。支えて続けているのは、まぎれもない作り手の信念と、まぶしいほどの誠実さです。

白井さんの言葉が、胸に残りました。
「上っ面じゃないんです。本当に知るべきは根っこにあって変わらないもの。それが伊豆大島の宝だと思っています」

左から『大島牛乳』、『大島バター』、『大島牛乳アイス』。いずれも島内限定販売。根強い人気のバターは、『大島牛乳』らしい軽やかな味わいが活きていて、毎日食べても飽きない味。牧場の前にある『ぶらっとハウス』では、『大島牛乳』を使ったジェラートも販売されていて、地元の人にも人気!

大島牛乳

大島牛乳

住所:
東京都大島町岡田新開87−1
TEL:
04992-2-9290

*商品は『ぶらっとハウス』などで購入できます。

●伊豆大島へのアクセス
東京竹芝桟橋から高速ジェット船で1時間45分~、または夜行大型客船で6時間~。
その他、神奈川県横浜港、久里浜港、静岡県熱海港、伊東港等からの船便もあり。

東海汽船 TEL:03-5472-9999 または 0570-005710
URL:https://www.tokaikisen.co.jp/

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