一皿のものがたり

つながり、日々に継いでいくということ。
ブーランジェリーヤマシタが選んだ黄色い器

2020/08/27

つながり、日々に継いでいくということ。 ブーランジェリーヤマシタが選んだ黄色い器
つながり、日々に継いでいくということ。 ブーランジェリーヤマシタが選んだ黄色い器

お気に入りの器になにを盛りつけるのか。大好きな料理を盛りつけるのはどんな器がいいのか。そんな思いをめぐらせる食卓は豊かな時間を生み出します。「一皿のものがたり」では、器と料理にまつわる物語を語っていただきながら、その方の日々の想いや暮らしについてお話をうかがいます。

今回お話しいただいたのは、神奈川県二宮のブーランジェリーヤマシタの山下雄作さんです。

ものが溢れている時代だからこそ
手のぬくもりを大切に

神奈川県 二宮。茅ヶ崎や大磯など、観光客にも人気の町が沿線上に並ぶ湘南エリアにあって、どこかのんびりとした空気が漂うこの町に、ブーランジェリーヤマシタはあります。お店がオープンする午前10時になると、店の前に漂うパンのいい香りに引き寄せられるように、次々と訪れるお客さんたち。棚に並んだ何種類ものパンのなかから、今日はどれにしようかと選ぶのは、至福の時です。

パンの販売をしているスペースの奥には、ドリンクなどと一緒に購入したパンをいただくことができるカフェがあります。木の表情が美しいテーブルとビンテージチェア。シンプルながら、印象的なランプシェード。棚には気持ちのいいインテリア雑貨や本が並んでいます。
椅子に腰を掛け、しばし待っていると、先ほど選んだパンが黄色い器に盛り付けられ運ばれてきました。同じく黄色いカップに注がれた珈琲に口をつけて、ふぅーとひと呼吸。すべてがしっくりと心地よく、なぜ多くの人がこの場所を大切に感じているのかよくわかる気がします。

ブーランジェリーヤマシタのオーナー、山下雄作さんは学生時代にデンマークに留学。その後、デンマーク家具メーカーに入社し、店長として長く勤めていました。そう聞くと、この空間に選ばれたものたちの佇まいの美しさ、ちょうど良さに合点がいきます。

「机は、家具メーカーで働いていた頃の元同僚に無垢のナラ材やオーク材でつくってもらいました。椅子は、デンマークのデザイナーによるもの。60年代の椅子で、座り心地がよく、長年人が使ってきたからこそ感じる、厚みのようなものがあるように思います。器を乗せるトレイは、学生時代の先輩にお願いしました」

今は、ものが溢れている時代。だからこそ、手のぬくもりや思いを大切にしたいと、山下さん。

「安価に手に入れることができる工業製品の机や椅子はたくさんあります。パンだって、スーパーに行けばずらりと並んでいる。そんな時代に、あえて店を持つなら、思いを感じてもらえる場所、思いが伝わる場所にしたかったんです。そこにこそ、このお店をやる意味があるのだと思っています」

今回紹介してもらう、店内で使用されている黄色いお皿やカップなどの器にも山下さんのそんな思いがあるといいます。器のお話は、まずは山下さんがなぜパン職人になったのか?という話から始まります。

人が生きる糧になる
素朴でシンプルな日々のパンをつくりたい

デンマーク家具メーカーで約10年、店長として青山や銀座の店舗を任されていたという山下さんが、パン職人になったのは、ある人の言葉がきっかけだったといいます。

「僕はそれまで、好きな北欧やデザインに関わる仕事として、家具の仕事をとても楽しんでいました。会社も、同僚たちも大好きだったし、満たされていると思っていました。でもある日、とあるお客様に『山下さん、今の生き方で満足しているんですか? 自分の中にこうして生きていきたいという思いがありながら、それに嘘をついて都会で生きることができるよう武装している。けれど、それは本当にしたいこととは違うんじゃないですか?』と言われたんです。その言葉を聞いて、刺されたような感覚を持ちました。図星だったんです。これはこのまま続けることはできないなと思いました」

お店で家具を販売し、閉店後はスタッフたちと遅くまで飲んで帰る日々のなか、目まぐるしく変わるトレンドを追い続けていた山下さん。しかし、お客様の言葉によって、自分自身が知らず知らずのうちに消費中心の社会に飲み込まれていたこと。そして、その生活を送ることで家族も幸せでなかったことに、気づかされたといいます。

そのまま店を辞め、それまで住んでいた茅ヶ崎の街を離れることになった山下さん。それは周りの人からすれば、まさに“失踪”だったと振り返ります。

「仲のよいスタッフがいる職場、気の合う仲間たちのいる地元から、そんなふうに消えたのは、自分が執着しているものから一度離れなければ、新しく生きることができないのではないかと思ったからです。こういうやり方であっても、一度今いる“社会から出る”というようなことが必要でした」

それから1年、山下さんは職もなく、精神的にも無気力な状態で揺らぎ続ける日々を送ったといいます。

「たくさんの人の力を借りながら、なんとか細々と暮らしていました。でも、2人の子どももいるし、ずっとこうしているわけにはいかない。じゃ、何をするんだと考えた時、頭に浮かぶのは、地に足をつけて、泥臭く生きていきたいということ。そして、これまでのように人がデザインしたものを売る仕事ではなく、自分の手で何かをつくり出したいという欲求でした」

そんな葛藤の中で選んだのが、パン職人でした。

「鬱々とした日々をすごす親父をよそに、子どもは日々食べて成長していくんです。その様子を見ていて、食べるというのは、人が生きることと直結している。食べるものをつくることができたら、それは必ず人が生きる糧になるのだと思いました。そして、粉だらけになって働くパン職人の姿が浮かんだんです」

とはいえ、それまで一度もパンをつくったことがなかったという山下さん。たまたま募集のあった店で、210カ月の間、必死でパンのつくり方を学びながら、自分の店を持つべく動き始めます。

店の場所探しの条件として考えたのは、実家のある神奈川県内であることと、都会的な要素が少なく、緑の多い場所であること。神奈川県の地図を開き、さまざまな候補地を訪れるなかで、二宮の町に出会いました。

「駅を降りて、吾妻山に登ってみたんです。見晴らしのいい山頂に着くと、眼の前に広がっていたのは、一面に咲く菜の花の風景でした。こんなきれいな場所があるのかと、もう単純に感動しました」

この感動をきっかけに、山下さん家族は二宮に移り住み、パン屋を始めることになります。

オープンするとすぐ、ブーランジェリーヤマシタのパンは評判となり、近隣の町からも訪れる人が増えていきました。そして出店から2年後、パンを販売する店舗の奥に、前述のカフェスペースをオープンさせます。

「家具の仕事を辞めた時に、大好きだった北欧やインテリアに関わるものは、すべて手放してきたという気持ちでした。好きな雑貨や買い集めたインテリアなども手元に残さなかったので。でも、カフェスペースをつくることになり、もう一度僕のこれまでの経験を生かしていいんだって思うことができて。自分の好きな空間にしたい。つくり手のぬくもりのあるもの、これまで縁のあった人たちのものを、この場所に置こうって思ったんです」

このとき、器はすべて茅ヶ崎時代の友人であり、陶芸家の前野達郎さんにお願いしようと決めていたといいます。

「突然仕事を辞め、茅ヶ崎を出てしまったこともあり、怒らせてしまった人や縁が切れてしまった人がたくさんいました。その中で、前野くんは、これまでと変わることなく僕に接してくれて。前野くんとしては特別なことではなかったと思います。でも、僕はそのことをとても感謝していました。ですから店で使う食器は前野くんにお願いしたいと思ったんです」

また、前野さんは、デンマークでデザインを学んでいたため、作品のイメージの源にデンマークがあったことも、この店で使う器としてぴったりだと感じたそうです。

そうして、山下さんが前野さんの作品のなかから選んだのが、黄色い器でした。

「店舗で使う器には、白い色が選ばれることが多いかもしれません。でもこの色を選んだのは、二宮に引っ越すきっかけとなった菜の花と同じ色の器を使いたいと思ったからです」

パンが2つ収まるくらいのちょうどいい大きさ。てらいのない、日常づかいにしっくりくる形は、素朴で、限りなくシンプルでありたいというこの店のパンにぴったりと馴染んでいます。何より、町との縁をつないだ菜の花の色に似たこの器は、このお店らしい選択でした。

▲現在店に並ぶのは35種類ほど。
なかでも人気の「シナモンロール」(右)と「ブルーベリーとクリームチーズのパン」(左)。

パンに、器に、空間に、
思いが受け継がれていく

縁がつながっているのは、器や家具ばかりではありません。山下さんのつくるパンのなかにも、継がれているものがあるのだそうです。

「パン屋をはじめて、自分なりのパンってなんだろうって悩んでいる時、デンマークに住んでいる友人が『うちの庭に有機栽培のりんごがあるから、そこから酵母を起こしてみたら?』ってりんごを持ってきてくれたんです。そこで、そのりんごを発酵させ、小麦粉を加えて酵母をつくりました。この酵母をずっと継ぎ足しながら、生地を仕込み、今もすべてのパンに加えています。ですから、うちのパンの中には、僕のデンマークへの思いや、友人の気持ちがずっと受け継がれているんです。それは、ささやかな思いかもしれません。でも、それを形にして、ずっと継いでいけるというのは、発酵の力を必要とするパンのすごいところ。“継いでいく”ことが、思いや比喩的な意味でなく、現実にできるというのがいいなと思っています」

▲ 冷蔵庫から取り出した酵母。「今は寝ている状態ですから、あまり格好良くないですが、撹拌をして動き出すと
横から発酵の網目が見えるんですよ」と山下さん。顔を近づけるとほのかに甘い香りがする。

しかし同時に、「インテリアや器にも、パンにも、大切にしている思いがあるけれど、それを声高に伝えたいわけではないんです」と、続けます。

「そこにある思いはいつも意識するというようなものではありません。ただ、そうして選び、継ぎ、大切にしているものが日常的にあること。感じてくださる人もいるかもしれませんが、わざわざ感じるほどではなくても、そこにあること。それはとても豊かなことだと思うんです」

「新しく生きる」そう決めて二宮の町でお店を始めた山下さんの決意と、人とのつながりと、感謝の気持ち。それらがあらゆる選択の軸にある。黄色い器を巡るお話から、山下さんの真ん中にあるそんな思いに触れさせてもらったような気がしました。

山下雄作(やましたゆうさく)さん

山下雄作(やましたゆうさく)さん

山下雄作(やましたゆうさく)さん

デンマークに留学し、帰国後、家具メーカーに就職。33歳でパン職人へと転身し、2014年春、二宮町に「ブーランジェリーヤマシタ」をオープン。

Boulangerie Yamashita ブーランジェリーヤマシタ
神奈川県中郡二宮町二宮1330番地
tel:0463-71-0720
営業時間:10:00~ 定休日:木・金


「一皿のものがたり」の他の記事を読む

To Top

このサイトについて

https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/
お気に入りに登録しました