発酵でつながる、おいしい輪!「私の発酵“推し”美食」
Vol.31 塩けと旨みをひとさじ。南イタリアの風を運ぶ「Cadota」新井直之さんのアンチョビ使い
2026/07/09
Vol.31 塩けと旨みをひとさじ。南イタリアの風を運ぶ「Cadota」新井直之さんのアンチョビ使い
発酵でつながる、おいしい輪!「私の発酵“推し”美食」
2026/07/09
食に関わるプロフェッショナルに“推したい”発酵食を伺う本連載。訪ねたのは、東京・東長崎の小さなレストラン「Cadota」。オーナーシェフの新井直之(あらいなおゆき)さんが推す食材は、アンチョビです。
今回は、アンチョビを使った軽食「モッツァレラ・イン・カロッツァ」と、夏野菜たっぷりのサラダ「パンツァネッラ」の2品のレシピを紹介。旬の食材を起点に料理を組み立てる新井さんの考え方や、発酵食材を“味のベース”として生かす工夫についても伺いました。

「僕の料理は、発酵を多用したものではないですし、発酵食をたくさん手づくりしているわけでもありません。発酵“推し”美食のバトンを受け取りましたが……大丈夫ですかね?」
そう言って、少し照れたように笑う新井さん。
Cadotaでは、近隣の農業者から届く新鮮な食材を使い、素材そのものの味わいを生かして料理することを大切にしています。ふだん使っている発酵食材は、アンチョビやチーズなど、限られたもの。店で焼く自家製フォカッチャも発酵を経て作っていますが、料理全体に発酵を強く打ち出しているわけではありません。
そんな新井さんが “推し”として選んだのが、アンチョビです。
「塩けと旨み、発酵による豊かな香りが凝縮されたアンチョビは、少し加えるだけで、料理の味がぐっとまとまりやすいんです」
一般的に、アンチョビにはカタクチイワシが使われますが、新井さんはコハダで自家製のアンチョビを仕込むこともあるそう。
「なじみの魚屋さんから、コハダをたくさん託されることがあって。すぐに使い切れない分は塩漬けにして熟成させています。その過程でコラトゥーラのような魚醤も上がってくるので、パスタやサラダなど、さまざまな料理の隠し味に使っています」

今回のレシピに使ったのは、スーパーなどで手軽に買える市販のアンチョビ。瓶詰でも缶詰でも、好みのものでOK!
塩け、旨み、香りが一体となったアンチョビは、具材であり調味料。その魅力を余さず味わうおすすめの2品は、家庭でも手軽にまねできそうです。
まず1品は、パンにモッツァレラとアンチョビをはさみ、バターで香ばしく焼く「モッツァレラ・イン・カロッツァ」。仕込みの合間など、小腹がすいたときにも作るという、まかない感覚の軽食です。


弱火でじっくりと焼き、チーズがとろりと溶け出したら食べごろ。表面はカリッと、中からは熱々のモッツァレラが伸び、アンチョビの風味があとを引きます。
料理名の「カロッツァ」は、馬車の意味。パンを割ったときに伸びるチーズが、馬車の手綱にように見えるから、という説もあるそうです。「イタリア料理の名前って、いちいち洒落ているんですよね(笑)」と新井さん。


もう1品は、たっぷりの夏野菜とパンを合わせた、イタリアのサラダ「パンツァネッラ」です。
「イタリアでは、パンは毎日買うものではなく、大きなパンを買って、その日の分を少しずつ切り分けて食べていく家庭も多いんです。硬くなってきたらスープに入れたり、パン粉にしたりして、最後まで使い切る。パンツァネッラも、そんな硬いパンをおいしく食べるために生まれた料理の1つです」
今回は、アンチョビをドレッシングとして活用。瓶に残ったオイルも使い、一皿で満足感のあるサラダに仕上げます。

アンチョビは形が少し残っていてもOK。あえて均一に混ぜないことで、味わいにメリハリが出る。
トマトから出た水分やドレッシングを吸い込み、パンそのものが旨みたっぷりの調味料のように野菜とからみます。
「アンチョビを隠し味に使うことで、塩けと旨みのバランスがとりやすく、味がまとまります。野菜もたっぷり食べられて、ボリュームも満点。食欲が落ちやすい夏は、これ一皿をランチ替わりにしてもいいですよ」
硬くなったパンも、使い切れないほど届いた魚も、別の料理にリメイクして楽しむ。新井さんの料理には、食材を無駄にしないための知恵が、ごく自然に息づいています。その背景にあるのが、料理はキッチンに立ってから始まるものではない、という考え方です。
「イタリア南部のプーリア州での経験が、大きなターニングポイントになりました。南イタリアの料理は、素朴でシンプル。それまでの僕は、繊細な調理技術やレシピを追いかけることに意識が向いていたんです。でも、研修先のレストランでは、シェフたちは自ら野菜や家畜を育て、食材を加工していました。そこで、料理はキッチンからではなく、畑や生産の現場から始まっているんだと気づいたんです」

店先で自家製パスタを仕込む新井さん。「外でパスタの成形をするのはプーリア流でもあります。
プーリア旧市街でも、おばあちゃんたちがこうやってオレキエッテ(耳たぶのような形をしたパスタ)を作っているんですよ」
現在、Cadotaで使う野菜の多くは、東京都青梅市のOme Farmと、埼玉県小川町の横田農場から届くもの。品目や量をこまかく指定するのではなく、その時季に畑で採れたものを送ってもらい、届いた食材を見て、メニューを組み立てます。
「一般的なレストランでは、作りたい料理を決めて、それに必要な食材を発注することが多いと思います。でも僕は、生産者さんから届いたものを見て、どう料理するかを考えたい。生産者さんが先導するかたちで料理をするのが、理想なんです」

食材の生産現場に目を向ける新井さんは、自身も実家の畑でイチジクを栽培しています。
新井さんの実家は、埼玉県の農家。将来的に自分が土地を受け継いだとき、その畑をどのように生かし、次の世代へつないでいくか。そんな思いから、料理にもデザートにも幅広く使え、作物としての価値も見込める白イチジクを育て始めました。
「農業が健やかに続いていくことは、料理にとっても大切なことだと思います。白イチジクの畑も、次世代の子どもたちへ残していけるような場所にしていきたいですね」
実際に自分で作物を育てると、店頭に並ぶ規格の均一な野菜や果物だけが作物のすべてではない、ということも見えてきます。大きさや形がそろわないものも含め、一つひとつの状態を見ながら、どう料理に生かすかを考える。新井さんにとって、作物を育てることと料理をすることは、切り離せない一連の営みです。

お店に届いた野菜や魚は、新鮮なうちに持ち味を生かした一皿へ。使い切れないものがあれば、塩漬けにしたり、発酵させたりして、次の料理へとつないでいきます。
畑から直送される旬の食材と、発酵や熟成を経た食材。その二つは、口の中で味わいが立ち上がるタイミングも異なると、新井さんは話します。
「たとえばフレッシュなトマトは、口に含んだ瞬間に青っぽい香りや甘みがふわっと弾けますよね。一方でアンチョビや魚醤など発酵系の旨みは、その味わいが収束したあとも、舌の奥のほうに余韻が残る。バンドにたとえるなら、ベースのような役割を果たしてくれるものかなと思います」
それ自体が前に出て主張するわけではないけれど、料理全体を骨太に支える存在。新鮮な食材の持ち味を引き立て、味わいに深みと長い余韻を与えてくれる。それが、新井さんの料理における発酵食材の役割です。
必要なところに、ほんの少し。そのひとさじが、旬の食材に静かに奥行きを加えています。
次回のバトンは、東京・目白にある注目のフレンチレストラン「aeru」のシェフ、中村俊也さんへ。どうぞお楽しみに!
立教大学フランス文学科在学中より、アルバイトとしてイタリア料理店の厨房に立つ。卒業後、イタリア料理の道へ進み、都内レストランで修行。イタリア南部のプーリア州でも研鑽を積む。都内にあるイタリアンで料理長を務めたのち、2023年に「Cadota」をオープン。
Instagram:@cadota_tokyo