甘酒の歴史・読み物

甘酒祭りレポートVol.2
間庭の甘酒まつり

甘酒祭りレポートVol.2間庭の甘酒まつり

無病息災を願う「間庭の甘酒まつり」

埼玉県秩父郡小鹿野町(おがのまち)の八坂神社にある小さな集落で、400年近くの歴史を持つ「間庭の甘酒まつり」。麦で醸した甘酒を神殿に奉納し、町人たちの無病息災を願います。
珍しいのは、祭事で使用する甘酒を作る工程を、住民たちが世襲制で分担していること。神事の様子を、麦甘酒の味わいとともにレポートします。

流行病の終息を願って始まった祭事

小鹿野町の言い伝えによると、このお祭りの発祥はおよそ400年前にまでさかのぼります。その昔、この地域一帯が疫病に見舞われた際、困り果てた村人が氏神様である八坂神社に甘酒を奉納したところ、病が治まりました。以来、この地では甘酒を供えるのが習わしとなったそうです。

この地で生まれ育ち、現在は祭りの実行委員を務める出浦正夫さんによると、「山間に位置する小鹿野町は、昔から米ができない地域で、麦の栽培が盛んに行われていました。そのため、お祭りで奉納する甘酒は、麦を発酵させて作る麦甘酒が先祖代々伝わっています」。

甘酒づくりは8軒の家で工程を分担

「間庭の甘酒まつり」で用いられる麦甘酒の最大の特徴が、甘酒づくりの工程を特定の家が分担していること。
「麦を集める役」に始まり、「麹をふかす役」「麹を作る役」「大麦の粥を作る役」「仕込んだ甘酒を見守る宿番」といったそれぞれの工程ごとに、役割が定められています。これらは本来、江戸時代に村の名主役を務めた間庭家と、そのゆかりの家々によって世襲されてきました。
しかし、近年は集落の数が減少してきたこともあり、概ね踏襲はしているものの、少しずつ変化してきているのが現状なのだそう。ちなみに、現在は間庭家に代わり守屋家が祭りを取り仕切り、それぞれの工程を、集落にある8軒ほどで分担しています。

祭事の会場は集落を守る八坂神社の神殿

八坂神社の周囲には、大きな奉納のぼりが立っており、ひと目でそこが会場だとわかります。その奥にある神殿には、甘酒まつりの核となる八坂神社(天王社)のほか、鬼神神社、妙見社、十一面観音が祀られていました。このように異なる信仰が同居しているのは、社が面している道がかつて秩父三十四箇所の巡礼道で、交通の難所だったため、集落の方たちが地域の平穏と旅人の安全を神仏に祈り続けてきたから。

土地に根付く信仰と、数百年前から続く伝統の祭事。地元の方だけでなく、遠方からもわざわざこの甘酒まつりを毎年楽しみに訪れる見物者も多く、会場は賑わっていました。

いよいよ神事がスタート!

7月某日の祭礼当日。午前10時に空砲が響き、最初に麦甘酒を神殿に奉納する「甘酒樽神輿」が始まります。甘酒が入っているのは、木で作られた昔ながらの大きな樽です。
これを「甘酒まつりだ、わっせい!わっせい!」と掛け声を上げながら、男性4人が担いで神殿の前を練り歩きます。

この甘酒樽神輿は、かつては神殿からほど近い間庭家から担いで運んでいたそうですが、現在は神殿の裏手にある、間庭集会所が出発地となっています。

甘酒樽の奉納を終えると、宮司による式典へと移ります。
八坂神社の前に座した宮司は、天保12年(1841年)と刻印された太鼓を打ち鳴らしながら、祝詞を上げていきます。その後、町長のほか、県や町の議員、氏子代表らが玉串を奉納し、一連の式典は滞りなく終了しました。
最後は住民たちの無病息災を願って、来場者全員に甘酒が振る舞われます。

時間帯によって味が変化。酵母が息づく麦甘酒

お椀に注がれた甘酒は、ほんのり黄みがかった色をしています。甘さは控えめで、ほのかに酸味を感じる味わいです。甘酒づくりの責任者である守屋さんに今年の出来栄えを尋ねると、「おいしく仕上がった」と教えてくれました。聞けば、この甘酒は火入れをしていないため、刻々と味が変わっていくのだそうです。

「この甘酒は生きている酵母なので、午後になるともう少しアルコール分が強くなってきます。酔うほどではありませんが、舌先がしびれる感覚があります。また、気温が高かったりすると発酵のスピードも速くなり、夕方まで置いておくと酸の成分が強くなります。草地にこぼしたときに、その部分の草が枯れてしまうほどです」

実際、樽の中をのぞくと、表面にフツフツとした泡がたくさん立っていました。
また、甘酒はその場でいただくだけでなく、希望すれば持ち帰ることも可能です。その際、袋に小分けしてくれるのですが、「生きている酵母」というとおり、甘酒の入った袋は短時間でパンパンに膨らんでしまうほど。そのため、「保存するときは適度に空気を抜くのを忘れないでください」と注意を促していました。

存続危機を乗り越えての復活

小規模ながら、「間庭の甘酒まつり」は、先祖代々受け継がれてきました。しかし、祭りの実行委員を務める出浦正夫さんによると、過去に1度だけ、何年か途絶えたことがあったそうです。

「第二次世界大戦末期に、人手や食糧が足りなくなったことから、開催されない時期がありました。復活したのは終戦後で、戦地に行っていた人たちが戻ってきてから。以来、毎年欠かさず行っていますが、実は現在もまた消滅の危機にあります。
それは、祭りそのものというより、集落の存続危機と言ってもいいかもしれません。おそらく20~30年は大丈夫でしょうが、その先はどうなるか…。でも、この地域の住民たちは、毎年このお祭りを楽しみにしています。一年を無事健康で過ごせたことに感謝し、また来年も元気でこの日を迎えるためにも、できる限り続けていきたいと思っています」


開催日:
毎年7月第3日曜日

開催場所:
間庭集会所(埼玉県秩父郡小鹿野町両神小森の間庭地内)

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